ストーリー


  愛してやまない故郷に、笑顔と希望のヒカリを取り戻したい

皆様はじめまして。宮城県気仙沼市でONE-LINE実行委員会の代表を努めております、宮井和夫です。私たちONE-LINE実行委員会は東日本大震災によって光を失い、足を止めることの無くなった内湾エリアをクリスマスシーズンにイルミネーションで彩り、これからの気仙沼を担う子供たちのために夢と希望の溢れる光を灯すイベントを地元有志を中心に今年も開催します。
2012年、2013年の開催に当たり認知度が低く、資金を集めるのにも苦労しました。復旧ままならない冬の気仙沼の湾岸での作業、そして実行委員全員が本業を抱えながらの作業でしたので、なかなか順調には進みませんでした。、「震災で傷ついた気仙沼湾岸をライトアップする」という想いが、多くの市民の皆様はじめ、全国の沢山の方々に共感していただき、多大なるご支援と協力を頂きました。手探りの開催にはなりましたが、地元の方々、何より子供たちに喜んでもらえたことが、昨年のイベントの成功点だったと感じております。開催期間中、気仙沼市長からは「気仙沼を代表するイベントに発展させて欲しい」との要望も頂きました。
このイベントが今後「気仙沼市復興の象徴」となるためには「気仙沼ならでは」の要素を取り入れる必要があると私たちは考えております。気仙沼市の震災復興のキャッチフレーズ「海と生きる」にも象徴されているように、気仙沼は港町、海の町です。

  震災以降、ヒカリが失われた気仙沼

私たちは気仙沼市で育ち、海が大好きです。

美しい気仙沼港は私たちの誇りであり、とても美しい港でした。

ところが、東日本大震災の巨大津波により市内の大半が壊滅。タンクから漏れた重油に火がつき、市内鹿折地区、南気仙沼地区は大規模な火災により炎上。甚大な被害に見舞われました。美しい海と豊かな緑の山々が織り成す素敵な気仙沼湾。市民が愛したその風景は東日本大震災によってヒカリを失いました。そして、今でも進まぬ復旧・復興。この現状では未来への希望のヒカリを見出すことが困難な市民も少なくありません。
そんな状況の気仙沼に、イルミネーションの暖かいヒカリを灯したい。そして市民の皆さんが笑顔になる場所を提供したいという想いを胸に、地元有志による「One-Line実行委員会」を発足しました。

  「ONE-LINE」には、2つの意味が込められています。

「湾」ライン

気仙沼市が世界に誇る気仙沼湾。リアス式と呼ばれる三陸海岸から入りくんだ穏やかな内湾と、そこで育まれる海産物。その豊富な海の恵に生活を営む町並みには、海と共に歩み、泣き、笑ってきた長い歴史がありました。私たちはこの気仙沼湾の湾景を暖かいヒカリで絆ぎ、夜空のもとに浮かび上がるイルミネーション『湾』ラインを、ONE-LINEと命名しました。復興への険しい道のりの途中で、ふと顔を上げた時、先人たちも目にしたであろう気仙沼湾の景観はきっと、我々に未来へ進むチカラを与えてくれることでしょう。

「ONE」ココロ、ひとつに。

2011.3.11の東日本大震災から約3年半~。気仙沼市は世界中から本当に多くの支援を頂戴しました。今こそ心ひとつにし、ご支援頂いた方々への「ありがとう」の気持ちを胸に、市民が一丸となって復興へ尽力するキッカケになって欲しいという希望を込めました。

我がまち気仙沼は、まだまだ復興への第一歩を踏み出したに過ぎません。これから長く、険しい道のりが待っていることは間違いありません。しかしながら、それをただ傍観しているのではなく、一人ひとりが心の復興を果たし、前に進んでいかなければ何も始まりません。今こそ立ち上がる時なのです。

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